生理用ナプキンがなくなったので買い物にでた。ついでに映画を観て来た。
自宅から徒歩圏内に映画館があるので、今の住まいはとてもいい。四年前から住んでいる。別居するために借りた物件だ。
今日観たのはドキュメンタリー映画で、アメリカのミュージシャンの活動を追ったものだった。この人物は知らなかった。
映画館に寄りたい、待たずに始まるもの、感情を揺り動かそうとしたり興奮を誘ったりしないもの。丁度よく、ドキュメンタリーが一本だけあった。券売機で空席を見てみたら、ガラガラな上にいつも好んで座るセンターブロックの最後列の端っこの席も空いていた。買った。個人的にはなんの思い入れもない人物を眺めることになった。じゃあ、なんか食べようかな。食費の節約は今の命題なので、めったにやらないことだけど売店でビールとホットドッグを買ってみた。その方がこの映画の雰囲気と合うと思った。こういう些細な思いつきを最近は、すくい上げて実行することができる。映画館で一人で、周りを気にせずだらだら食べながら観ることは、ずいぶんと楽しいもんなんだな。夕食も済んだ。自分にとっては贅沢な食事だった。
今、スマホで入力しながら帰宅している。風があって涼しい。鈴虫が鳴いている。蛇行気味で画面見ながら、たまに止まったりして、ちょっと危なっかしい。ヘタクソなら帰ってからやればいいのに、その調整こそ難しいので、ジグザグとヘンなリズムで歩くことになっている。エサを探す蟻みたい、かもしれない。
いろんな人間がいて、虫とかの他の生き物も、それぞれの脳には与えられた空間があって、その広さ比べをしたら面白いかもしれない。
映画で知ることになったその人物は、その脳の中で縦にも横にも、音の世界を拡げ続けていた。演奏を具現させることは大変だったらしい。その世界の複雑さ広大さに、音楽のエリートでさえついていくことは容易でなかったようだ。独学でオーケストラを作曲してしまうような才能の持ち主。両親は音楽に触れ合うような暮らしはしておらず、音楽に出会う前は、爆発物を作ることにハマっていたらしい。なんか、とてつもない体力を秘めている感じ。喘息だったらしいが。創作の気力がみなぎっている。そういうものも体力だなと思う。元気がなくては何も生み出せない。病気をしていても、元気な人とそうでない人はいる。気、というものについては、また後日考えてみよう。
人の脳の拡がり具合や、その色合いみたいなその人独自の様相を、何かしらの手段でこの五感の世界で知覚できるカタチに現す。そしてそれを広めてまた別の脳と出会っていく芸術活動。その活動前の、さらに具現化前の脳の世界に、他人の家の庭みたいに遊びに行けたら楽しそうだ。でも、ごく短い時間でいいんだけど。束の間、気晴らし程度に。それなら、その能力を授かった故の苦しみや、社会的な闘いは負わなくて済む。
都合のいい想像をした。ちんまりした考えだ。すでに有名な映画で描かれていた気もする。まあ、愉しくなって来てはいる。今日も、おつかれさまでした。私の小さな庭より。
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