とある著名な本を読んでいる。第二次世界大戦下、強制収容所に収容された心理学者がその体験を書いたもの。プロローグでもうすでにはっきりと一つの答えが示された。やさしい人は戻ってはこなかったと。やさしい人は生きることをやめる。誰かを殺すことと引き換えに生きることから降りる。やっぱりそうなんだ。そんなことは知っている。落胆した。ここには夢や希望は描かれない。実体験の手記だ。だから冒頭から失望した。でも、この本を読むのをやめたいかというと、そうではない。身体が重くなって本を閉じたが、今ここに打ち来みながら、その先を読み進めたいと思っている。こんな程度の感想しか浮かばない自分に、つまらないな、と思いながら。そして、この本は私を少し先に進めてくれるのではないかという期待を抱いている。
私はおそらく、やさしい人の部類に入る。手記を書いた人は戻った人なのだから、そうではない人だろう。戻った人の一挙手一投足を観てやろう、という意地の悪い気持ちが湧いている。これは、おそらく怒りと、嫉妬だ。やさしくないではないか。私が想定しているやさしい人とはどんな人間なのか。やさしい人はこんなに卑屈なのだろうか。今ここで、私の中に爆発物が潜んでいることを発見した。自害用のなにかだ。こんなものを持っているなら、ひとたび間違えば、他のモノに投げつける可能性だってあるじゃないか。なにに怒っているんだろう。どこを妬んでいるんだろうか。やはり読まないといけない。今、自分に相対する気構えができた。卑屈という立ち位置から読んだらいい。残念だけどね。読みながら、卑屈な読者である私をひっくるめて、観る。ここに来て言葉を出せば、観る側に成れる。さあ、読んで来い。
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