また雨だ。ゴミを出した。いや、出せた。雨でも、外に行けた。散歩はしない。朝のシャワーも省いて、今朝はすぐにパソコンを開いた。就職活動というものに手付けてから、スマホと常時つながっている日々が当たり前になっている。これはもうそのうちやめたい。もう1年になる。そのうち、ということで、そう、今からやめた。とはいっても、日常の不可欠なツールとして手のうちに馴染んでしまったので、今朝もアラームを止め、デジタルの文字盤を目に入れるところからはじまった。なるべく他のアプリは触らないように用心した。でも、ちょっと、いつも繋がっているコードが外れているわけではないので、ちょっと、やっぱり、脳内麻薬を放出したがっているさ加減がそこそこ高いしで、少し悩んで、ラジオアプリをとんとんと指でノックした。とある批評家の番組だ。牧師さん、みたいだ。と感じた。キリスト教徒でもないし、だから牧師と神父さまの感覚的な違いもはっきりわからないくせに、牧師さんみたいと言う。プロテスタントとカトリックの教派の違いがあることくらいは一応は知りはしている。例えば、映画やドラマをつくります。キャスティングするとしよう。その批評家さんが役者なら、牧師役にあてる。人間味のなかで共に神の教えと暮らす、牧師。神父さま、犠牲の上に成り立つ身だろうて、遠くて堅い。私は、ラジオアプリに牧師さまを見つけたんです。最近。今朝目覚めて、初めに私の世界に接続したコードは、牧師さんでした。
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